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  • miyamoto

「こんなはずじゃなかった」と思うとき


私がスクールカウンセラーとして通っている小学校での出来事です。


私は校庭で子どもたちと鬼ごっこをしていました。じゃんけんで負けた私は鬼になって、逃げる子どもたちを追いかけていると、すばしっこいAくんが私の方を見て「鬼さんこちら~」と手をひらひらさせています。それを見て、(Aくんを捕まえてやろう)と決めた私はAくん目がけて猛ダッシュ。私が高校生の時の50m走タイムは7.04秒。その時よりは遅くなっているとはいえすぐに追いつくだろうと思いました。

数秒後には手を伸ばせばタッチできそうな距離まで来ました。

手を伸ばす私。

それを急カーブして躱すAくん。

Aくんに続いて私も急カーブしようとしたその時、事件が起きました。


・・・足が動かない。


どうして動かない?どうした足?と頭の中はパニック状態。もつれる足に戸惑っている間に、私の上半身はどんどん地面に近づいていきます。ジブリ映画『紅の豚』のプロペラが止まった飛空艇がゆっくりと落ちていくような、そんなイメージでした。地面にぶつかるギリギリで両手をついて、不時着した私。大けがは免れたものの膝を少しすりむきました。

倒れた私の目に映るのは、あざ笑うAくん。


こんなはずじゃなかった。




「こんなはずじゃなかった」と思うとき、そこには二つの私がいました。その二つの私のことを人間性心理学では「理想自己(もしくは自己概念)」と「現実自己(もしくは経験)」と言います。小難しい言葉ですが、平たく言うと「理想自己」は想像上の私で、「現実自己」は実際の私です。この二つのズレが大きいと日常生活や社会生活で問題が起きやすいとされています。上の話を例にすると、「50mを7.04秒で走れた私」は理想自己で、「急カーブできずに足がもつれる私」が現実自己になります。そのズレがあったことによって転倒事件(大袈裟な表現ですが)が起きた、と言えます。

今回の私の「理想自己」は、私にとってそれほど重要な部分ではない(といっても転んだのはショックでしたが)ので「昔は速く走れた(理想自己)けど、今は昔のようには身体が動かない(現実自己)から転ばないように気をつけて走ろう」と受け入れることができます。

しかし、理想自己の部分がその人にとって重要であればあるほど、自己愛や自尊心の傷つきが大きく、現実自己を受け入れがたく感じることがあります。そんな時はカウンセリングが役に立つかもしれません。一人では取り組むことが難しいこころの作業をカウンセラーが手伝ってくれると思います。ほだかの里でも心理相談(カウンセリング)を受け付けていますので、どうぞお気軽にご連絡ください。



さて、小学校での出来事の続きです。

あざ笑っているかのように見えたAくんは、実はそうではなかった!倒れた私を見ると「大丈夫?」と私が立ち上がるのを手助けしてくれました。膝についた砂まで払ってくれて、なんと優しいことでしょう。近くにいた他の子たちも駆け寄ってきて心配してくれました(近くにいた先生は私を見て爆笑していましたが・・・)。

Aくんも皆もありがとう。そしてAくん、ごめんなさい。

あざ笑っているように見えたのは私の「想像上の」Aくんでした。

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