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里親家庭で実子として思ったこと
里親家庭になるきっかけは、さまざまです。我が家の場合は、母の「里親登録をしたい」という思いから始まりました。 当時の私は18歳。大学受験に失敗し、浪人生活を送っていました。そんな頃、私より一つ年下の男の子が一時保護として我が家にやってきました。 その子は非行傾向があると言われていましたが、ネグレクトや心理的虐待の中で育ってきた子でした。ただ、当時の私は正直なところ、深く関わる気にはなれず、少し距離を取っていました。 どこかトリッキーで、半グレのような雰囲気をまといながらも、人に構ってほしい様子が見えて、関わることを面倒に感じていたのを覚えています。 彼は数週間後、一時保護が解除され、家庭に戻っていきました。 その期間のある夜、リビングで何気なく話していたときのことです。彼はぽつりと、自分の虐待の経験を話してくれました。 そして最後に、こう言いました。 「ここでは安心して過ごせる。ここで過ごせたことは感謝しかない」 その言葉を聞いたとき、私は複雑な気持ちになりました。そして初めて、母がなぜ里親を始めたのか、その理由を少しだけ理解できた気がしました。


【キャリア第三章】「児童養護施設へ転職。そして、里親支援という道へ」
こんにちは、kuboです。 いよいよキャリアシリーズも最終章。 自分のキャリア話だけで3回も引っ張ってます。ありがとうございます。 最終章でオチが滑らないよう、気合い入れて書きます。 児童自立支援施設を一身上の都合で退職したあと、地元に戻り、 児童養護施設を2か所経験しました。 1か所目は中舎制。子どもがわんさかいる学童ユニットで、職員1人あたり学童15人、幼児ユニットでは幼児多い時は10人。僕はこの2ユニットを経験しました。 正直、「これ人間業なの?」と思ったことが何度もあり、あちこちでトラブルが発生するので立ち止まる暇はありませんでした。児童自立支援施設もまあ大変だったけど、児童養護施設も負けてません。 大舎や中舎の施設では、個々のニーズに丁寧に応えるなんて、理想であり、幻。 「衣・食・住」を回すことで一日が終わる、そんな毎日でした。 個別的な対応は、緊急対応や進路支援が必要な子どもが優先になり、全員に十分な時間をかけられない現実がありました。 本当にこれでいいのかと疑問に思う日はありましたが、その現実を変えるべく働き方を変えて行こうにも児童


【キャリア第二章】とんだブラック企業!? いきなり同期がバーンアウトした話
住み込みでの生活 ― 児童自立支援施設の現場から 前回は「児童養護施設だと思って説明会に行ったら、実は児童自立支援施設だった」という話をしました。今回はその“生活編”です。 子どもと「一緒に暮らす」仕事 児童自立支援施設の職員の仕事を一言でいえば、...


【キャリア第一章】説明会で気づいた「児童養護施設じゃなかった」話
はじめまして。このたび、ほだかの里に加わりました、大久保と申します。はじめましてなので今回は、僕のキャリアのスタート地点――「間違えたけど始まった」そんなお話をさせてください。 会計学部→児童福祉の道へ もともと僕は、経済系の学部を出て、普通に銀行などの一般企業へ就職…のは...
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