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里親家庭で実子として思ったこと

  • kubo
  • 3月31日
  • 読了時間: 4分

里親家庭になるきっかけは、さまざまです。我が家の場合は、母の「里親登録をしたい」という思いから始まりました。

当時の私は18歳。大学受験に失敗し、浪人生活を送っていました。そんな頃、私より一つ年下の男の子が一時保護として我が家にやってきました。

その子は非行傾向があると言われていましたが、ネグレクトや心理的虐待の中で育ってきた子でした。ただ、当時の私は正直なところ、深く関わる気にはなれず、少し距離を取っていました。

どこかトリッキーで、半グレのような雰囲気をまといながらも、人に構ってほしい様子が見えて、関わることを面倒に感じていたのを覚えています。

彼は数週間後、一時保護が解除され、家庭に戻っていきました。

その期間のある夜、リビングで何気なく話していたときのことです。彼はぽつりと、自分の虐待の経験を話してくれました。

そして最後に、こう言いました。

「ここでは安心して過ごせる。ここで過ごせたことは感謝しかない」

その言葉を聞いたとき、私は複雑な気持ちになりました。そして初めて、母がなぜ里親を始めたのか、その理由を少しだけ理解できた気がしました。

またあるとき、5歳の男の子が我が家にやってきました。とてもやんちゃで、他の子にいたずらをして、周囲の困った反応を見ると笑うような子でした。

当時の私は「試し行動」という言葉も知らず、どう関わればいいのか分からず戸惑っていました。「なぜ自分がこんなに困らなければならないのだろう」と思うこともありました。

そんな中、実家でバーベキューをしたときのことです。母は、その子の実親を招いていました。

実親との交流は必ずしも多いわけではありませんが、当時は児童相談所から「実親も育て直しが必要。生活面も含めて関わってほしい」と依頼があったそうです。

母は料理や洗濯、掃除を一緒にしたり、実親の家を訪ねて手伝ったりしていました。そうした関わりの中で、実親との関係も築かれていきました。

その姿を見ながら、私はまた別の形で、里親という存在の意味を知ることになりました。

もちろん、里親家庭には良いことばかりではありません。

小さな子どもがいる中で思春期の子が新たに委託されるなど、家庭の負担が大きくなることもありました。無理のある委託が続き、母が疲れ切っている姿を見ると、心が痛むこともありました。

当時は今のようなレスパイト制度もなく、母が体調を崩すことも少なくありませんでした。実子である私たちが手伝う場面も多く、時には親子喧嘩になることもありました。

「里親家庭は良いものなのか、それとも大変なものなのか」そんなふうに自問自答することもありました。

それでも気がつけば、私は児童福祉の道を選び、施設職員として働くようになっていました。

そして自分自身も親となり、子育てを経験する中で、親であることの大変さを実感するようになりました。同時に、母がしていたことの意味や、実親もまた孤独や困難の中で子育てをしていたのだろうと、改めて思いを巡らせるようになりました。

そして今、私は里親支援センターで働いています。リクルーターとして、里親制度の啓発に関わる仕事をしています。

里親制度の説明では、「子どものパーマネンシーを保障することにつながる」とお伝えしています。

けれど、大人になって実家に帰ったとき、ふと感じることがあります。かつて自分が使っていた部屋の痕跡はなく、そこはすでに別の役割を持つ空間になっています。

帰る場所ではあるけれど、もう「自分の部屋」ではない。そんな感覚に、少し戸惑うことがあります。

もちろん、一般的にも子どもが独立すれば、元の部屋が物置になったり、別の用途で使われたりすることは珍しくありません。そう考えれば、里子が生活する場として有効に使われているのは、とても意味のあることだとも思います。

それでもどこかで、「自分の居場所はもうそこにはないのだな」と、ふとした寂しさを感じる瞬間があります。

これは部屋という分かりやすい例ですが、気持ちの面でも同じようなことがありました。もう少し親に目を向けてほしい、そんな思いが湧いてくることが、20代の頃には何度かありました。


あくまでもわたしの場合ですが、他の実子さんはどうなのかわかりません、僕自身は親を求める時期は、思っているよりも長いものだったと思います。


それでも、私は今この仕事をしています。

里親家庭の実子として育った経験が、これから里親を考えている方にとって、少しでも参考になればと思っています。


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