家庭的であるということ




私が大学を出て、社会人として初めて児童養護施設で働きはじめて、まず感じたことが、

「何かとんでもないところに来てしまったな…」ということです。

(※私が以前勤めていた施設での話です。)



その施設では、朝一番に集会室でおまいりの時間があり、子どもたちは、その時間に遅れるとみんなの前に座らされたり、外を走らされたりするのです。


もちろん、そういった施設独自の習慣にも驚きましたが、一番驚いたのは、子どもたちが、それを当たり前のように受け入れているということでした。


「遅れちゃった」といいながらヘラヘラ笑って外を走っていたり、皆の前で座らされているのにニヤニヤしていたり、そしてまた、その様子をみた職員に怒られてもまったく動じることがないのです。


早番を担当する職員によっては、多少緊張感があったりする時もありましたが、基本はそんな感じなのです。


施設全体が管理的でありながら緩いのです。

何か変な感じなのです。


職員は、仕事をしに来ているというよりも、自分自身の生活の延長という感じで、勤務時間なのに平気で昼寝をする職員もいれば、子どもと一緒にいつまでもゲームに夢中になっている職員もいれば、それに文句を言っている職員もいれば…という感じで、とにかく緩いのです。

(※その少し前まで、その施設では、殆どの職員が住み込みで働いていたので、その名残りもあったという説明だけはさせていただきます。)


でも、子どもたちの「家」である施設において、その緩さは「良さ」でもあったと思っています。


施設として様々な規則や管理的な日課は色々あるし、職員は立場上それを守らせなきゃいけないし、子どももそれを守らなきゃいけないという前提はあるんですけど、緊張感を持って一生懸命「仕事」をしてくれる職員がいるより、「仕事」を意識しないで、ただ一緒に笑って楽しく生活している職員がそばに居てくれたほうが、子どもとしても居心地がよかったと思うんですよね。

そこには、規則や日課以上に大事な「安心感」があったと思います。


それは、管理的な「施設」でありながら、ある意味「家庭的」だったなと思えるところでもあります。


ちなみに、施設の建て替えと共に施設の古い習慣はなくなっていきました。


いつも子どもとゲーム三昧の先輩職員は、いざとなると何でもできる万能職員でした。