ぼくとおばあちゃんの話
- mune
- 7月28日
- 読了時間: 2分
更新日:7月28日

私の祖母の晩年は認知症で、ほとんど外に出ることなく、定位置のソファで日々を過ごしていました。
祖母は、私の携帯に毎日のように何度も電話をかけてきましたが、仕事中の私はなかなか出ることができず、不在着信が十数件にのぼることも珍しくありませんでした。
それでも、電話に出ると第一声で必ず「あんたの声が聞けて良かった」と言ってくれます。どんなときでも、後ろ向きなことは口にせず、前向きで肯定的な言葉ばかりを発する人だったので、毎日のようにかかってくる電話も苦ではありませんでした。
祖母は、私の母にとって実の母ではなく、後妻として家にやってきた人で、母とは年齢もあまり離れておらず、関係はあまり良くありませんでした。母からは「おばあちゃんからこんな酷いことをされた」という話をたくさん聞かされてきましたし、それだけを聞いていると、ずいぶんと酷い話にも思えました。
けれど、祖母が他の人にとってどういう人であったかは、私にとってはあまり関係のないことだと思っています。
祖母は、小さい頃から私のことを無条件に愛してくれました。
私が自分を肯定できる根っこには、母だけでなく、そんな祖母の存在があります。
「子どもを愛するのに血のつながりは関係ない」と思えたのも、祖母の影響が非常に大きかったと思います。
祖母は、私の前では絶対に人を悪く言うことはありませんでした。関係の悪かった母のことも、私の前で褒めることはあっても悪く言ったことは一度もありません。そして、私の話にはいつでも耳を傾け、何でも受け止めてくれました。
でも、そんな祖母が唯一強く反対したのが、私が「里親になりたい」と言ったときです。そんな祖母だった故に命がけの反対なのだと実感しました。
あの時は、すべての親族が猛反対し、委託されてからも1年間は、子どもと顔を合わせてくれませんでした。それでも1年後に会ってくれたときは、私にしてくれたのと同じように、心から“我が子”を可愛がってくれました。それは、自分が愛されることよりも遥かに嬉しい出来事で、あの感覚はいまでも鮮明に残っています。
私の母にとっては、「母」と呼ぶには複雑な存在だった祖母ですが、私にとっては、かけがえのない、最高の祖母でした。
人によって、「その人」は良い人にも悪い人にもなるもので、人間なんて、たいていそんなものだと思います。
だからこそ私は、祖母が私に見せ続けてくれた姿を心に映しながら、これからも大切な人の人生に寄り添うことができればと思っています。
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