親の背を見て子は育つ
- miyamoto
- 4月1日
- 読了時間: 3分
更新日:4月5日

「勉強なんてせんでいい」
「宿題なんかやらんでいい」
父がよく言っていた言葉だ。
子どもの頃の私と兄と妹は「勉強なんてせんでいい」という父の言いつけをしっかりと守って(?)勉強をしなかった。私に限って言えば、小学四年生の時に宿題を提出していない時期があった。それは母に発覚して怒られたが、父は笑っていた。
弟だけは違っていて、夏休みの宿題を「今日はこれだけやる」と計画通りに進めたり、テスト勉強をしたりしていた。ある日には、中学のテスト勉強をしている弟が、父から「そんなに勉強ばかりしていたら頭がおかしくなるぞ!」と言われていた。弟は「でもやった方がいいと思うから」と言い返して勉強に取り組んでいた。その様子はお笑いのコントのようで、母はそれを見て「変な親子~」と笑っていた。
母も父と同じで勉強をしなさいと言うことはなかった。「勉強は自分で必要だと思った時でいいけど、提出しないといけない宿題はやるように」というのが母の考え方だった。両親は子どものテストの点数も通知表もあまり興味がなかった。そんな両親なので、家の中では勉強に関するプレッシャーがほとんどない状態で生活していた。私を含めた四兄妹にとっては、それが当たり前だったのだが、同級生に話すと「変なのー」とか「お前んちの父さん変わってるね」と言われた。私は同級生たちに言われて、我が家は変なのだと認識していた。
私が中学生か高校生だったかの時に父が転職をした。ちょうど同じ時期のこと。休日なのに父がリビングにいない日があった。普段なら休日はほとんど一日中リビングで寝転がってテレビを観ている(というよりテレビの音を子守歌にして寝ているように見える)のに、リビングにいない時間ができたのだ。
たまたま覗いた二階の部屋の中で、父は丸テーブルの上に本を開いて何か書いていた。それは当時の私にとっては衝撃だった。父が勉強していたのである。父は新しい職場で必要な資格の勉強をしていたのだった。危険物取扱者の資格で何種だったかは覚えていないが、父が夕飯の時間に「液体から気体に変わることは気化だけど、固体から気体に変わることを昇華って言うんだぞ」と得意げに話していたのは覚えている。
それから数年後。大学院受験に向けて勉強していた私は、当時小学六年生の弟に「心には自分を守るための防衛機制っていうのがあってね」と勉強した内容を得意げに話していた(弟は興味がなかったかもしれないが)。
「観察学習」という言葉がある。アルバート・バンデューラという人が提唱した概念で、他人の行動を観察・模倣しただけで学習が成り立つ、というものだ。おそらく私は、父の「勉強するという行動」を観察学習していたのだと思う。
普段は子どもに「勉強なんてせんでいい」という父が勉強しているというギャップによって、私は勉強している父の背中と、勉強したことを得意げに話す父の表情を記憶した。そして、勉強する必要に迫られた時に父のその行動を再現していた。
親の背を見て子は育つというように、私は父の行動を知らず知らずのうちに模倣していたのだろう。
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