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  • kamiya

落ち葉の道を歩きながら



晩秋の天気の良い日曜日は近くの低い山を一人で歩くことが多い。木漏れ日の中、落ち葉がこそこそと音をたて、その音を聞きながらいろんなことが頭の中をかけめぐる。

 2年前に亡くなった猫のこと、自分から食べることを止め、覚悟を決めてひとり静かに逝ってしまった。最近は、認知症が始まった友と脈絡のない話をしながら、一緒に登った山の日々を思い出していたこと。

生きていくことは楽しいことばかりではないと気持ちが沈んでしまうけれど、山を歩いて身体が温まってくると葉っぱの落ちた木々が春に向かってけなげに生きていることに気づいて、少し前を向いて歩いて行こうと気持ちが明るくなってくる。


 3年前、病院で初めて会ったその女性は僕を睨みつけるように険しい顔をしていた。その母親である年配の女性に促され、無言でうなずいていたことが彼女の意志の強さを物語っていたと思う。少しして、僕らは生まれたばかりの男の子を乳児院に連れて行った。

 彼女に2度目に会った時は、自分の子どもを託す里親さんに会った時だった。表情は少し和らいでいたが、笑った時のしぐさがぎこちなくて、まるで中学生の女の子を見るようだった。

 それから、年に2回ほど里親さんから受け取った写真を渡すときに彼女に会った。子どもの1歳の誕生日には里親さんに連れられてきた我が子をまるでよその子をみるように「可愛い」と話していた。愛おしい気持ちを必死に我慢しているようだった。

 特別養子縁組が決まったことを伝えた時は、「よかった」と一言だけ、涙をこらえて話してくれたことが何故か余計につらかった。

 

 病院で彼女に初めて出会ってから、もう3年がたってしまったと晩秋の山道を下りながら思い出していた。生まれたばかりの愛おしい子どもを手放すことがどんなことなのか僕にはよくわからないけれど、彼女のつらく悔しい思いをその時の眼差しから理解することは簡単だったような気がする。

 あの時から3年という月日が流れ、最近では穏やかな日常を取り戻し、前向きに仕事や長男の子育てに取り組んでいることを彼女自身から聞いた。いつも作業服を着て、自転車で駆けつけてくれたことを思い出し、必死に生きてきたんだと改めて気づいた。

 最後に会った時、「初めて会った時はホントに憎かったけれど、今は感謝かな」と小さな声で恥ずかしそうに語ってくれた。ずいぶんたくましくなったなとその時僕は感じることができた。

 生きていくことはつらいことばかりではないなとうれしい気持ちになる。ひとり静かに落ち葉の道を歩きながら。



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