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  • kamiya

少年Aくんとの出会い


児童相談所勤務の始まりは非行少年の支援が中心だった。今から30年以上前のことだが、当時は少年非行が社会問題となるくらいに中学校が荒れていて、ほとんどの学校には「ヤンキー」と呼ばれる非行少年が複数人存在するような状況だった。

非行問題の中心は「シンナー吸引」「バイク暴走」が目立っていたが、窃盗、学校間抗争、不純異性交遊、怠学、校内暴力など問題は多岐にわたっていた。そのため、当時の中学校の先生は生徒が関わった問題行動や生徒自身への対応に忙殺されていた。

児童相談所では、中学校からの相談や警察からの通告を受けて、本人や親に来所してもらい、面接を通して非行事実の確認やそこに至った経緯、家族背景などを探り、児童福祉司として彼らの抱えている課題にどう向き合い、どのように支援していくのかを本人や親と一緒に考えることからスタートしていった。


児童相談所で少年や親との面接、中学校への訪問、少年宅への家庭訪問などを通して彼らとの交流や関りを繰り返しながら、彼らの心の内側にあるもやもやしたやるせない思いを探ろうと試る。しかし、彼らの抱えている課題は深く複雑で、簡単には事態は好転せず、多くは負の方向に進んでいった。その後に起きた非行問題が少年法の対象となり、所管する部門が児童相談所から家庭裁判所に移っていくことも多かった。その結果、少年鑑別所や少年院で彼らと再会し、面接することもしばしばあり、自分自身のふがいなさを感じたことが何度かあった。

思春期から青年期に向かう頃の心の危うさや不安定さは誰もが経験するもの。そこを何とか通過して大人になっていくという、とても重要な時期でもある。多くの少年は親や友人や先生などいろんな人の支えの中で無事に通過していくが、児童相談所で関わった少年らはもがいた末にドロップアウトしていくことも多かった。もちろんそんな少年でも紆余曲折を経て大人になり、ほとんどは社会人として成長していくことが多いと感じてはいるが。


児童相談所で関わる少年や子どもらの課題は非行から不登校そして虐待へと変化していった。そして、再び勤務した児童相談所ではそのほとんどが虐待関係の課題との取り組みとなっていた。少年の抱えている課題や表面的な現象問題は多岐にわたっていたが、その背景には親からの虐待が潜んでいた。30年前の非行少年にも虐待という背景がきっとあったはずだが、残念ながら当時はそこまで気づけていなかったと今になって思う。

2度目の児童相談所勤務で非行問題を担当することはほとんどなくなっていたが、そんな時に珍しく警察から通告があり、少年Aくんに出会った。

以前のヤンキー少年とは違って、なよなよとしてひ弱でどこか優しいイメージの少年だった。彼がどんな非行問題を起こしたのか、その背景はどうだったのか、今ではもうすっかり忘れてしまったが、当時、母親は彼の対応に疲れ果て、どう向き合ったらいいのかわからず混乱した様子だった。

児童相談所での面接が中心だったが、口下手で表現も苦手なため、一緒に卓球をしたり、児童相談所の周辺を一緒に散歩しながら雑談することにした。何とか彼との関係を作って、彼の抱えている背景を探ろうと考えたが思うようにはいかなかった。母親との面接でも背景や課題を十分に見つけ出せずにいた。


彼の非行問題はエスカレートすることはなかったが、怠学状態は続き、思うような改善は見られなかった。そのため、短期間の一時保護を提案し、一時保護所での短期指導を試みることにした。彼は提案を素直に受け入れ、その結果すんなりと一時保護となった。

2週間という短期間の一時保護生活を彼は全く問題なく送ることができた。毎日一度は保護所で顔を合わせ、二人で卓球をして、周辺を散歩する毎日だった。彼との表面的な関係はできていたが、面接から彼の抱えている課題や背景を探ることまでには至らなかった。一時保護の後、家業の手伝いをするなど多少の生活改善は見られたが、元となっている非行問題はくすぶったままだった。

児童相談所の面接日に彼が来ないこともしばしばあり、そんな時は母親との話の中から彼の抱えている問題を探ろうとしたが、なかなか思うようにはいかなかった。母親の疲れた様子はずっと続いていて、彼の課題を一人で抱え込んでいるように感じた。そんな時、母親との会話中にふと言葉が詰まり、なぜか涙が出てしまった。気づかれないように顔を背け、なんでもなかったように装うだけで精いっぱいだったが、一瞬沈黙の時間が流れた。児童相談所に長く勤務し、多くの人と面接を繰り返してきたがこんな体験は初めてで自分自身が一番驚いていた。面接が終わり、どうしてそんなことになったのかと考えていたが、きっと母親の辛さに共感し、感情が抑えられなかったのかもしれないと、その時は考えていた。


児童相談所内で勤務変更があり、少年Aくんの担当は半年あまりで終了し、担当を後任に引き継いだ。彼の様子は後任の職員から時々経過を聞いていたが、少しして、彼が少年院に入所となったことを知った。

それから1年以上が過ぎ、少年院から復帰した彼に児童相談所で会うことができた。久しぶりに会った彼は身体も逞しくなり、心も成長したように感じられた。

今になっても時々彼のことを思い出すことがある。そして彼の母親との面接で不覚にも涙を流した思い出も。ただ、あの涙は、もしかしたら私自身の母親への思いが彼の母親に投影したものだったのではないかと今になって思う。コンプレックスを抱え、葛藤していた自分自身の中学生時代を振り返りながら。

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