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  • takeda

失うということ


今から10年ほど前、地元奈良県で一人暮らしをしていた父が他界したことをきっかけに、実家じまいをしました。もともとは4人家族でしたが、弟は就職時に広島へ。その後母が他界し、しばらくは父と私との2人暮らしでした。私の結婚を機に、実家には父一人となっていました。その父も他界し、実家じまいをすることとなったのです。

 もともとの出生地は兵庫県でしたので、生まれた頃から暮らしていたわけではありませんでしたが、小学校高学年から結婚するまで過ごした奈良に実家がなくなるというのはなんとも言えない寂しさがありました。結婚もして新しい家族があるにも関わらず、どこか地に足がついていないような不思議な感覚に襲われたことを覚えています。その頃は転勤族の主人の仕事の関係で引っ越しも多く、生活や人間関係などが安定せず、どこか根無し草のようなふわふわした状況が少なからず影響していたのかなとも思います。

下の子が小さかったこともあり、ろくに確認もせずにほとんどの物を処分してしまったこと、当日その場に足を運ばず業者任せにしてしまったことは、今となっては少し後悔が残ります。その時は忙しく、遠方であったこともあり、ゆっくり考えることもせず「置いておく場所もないし、処分してもらえばいいかな。」くらいの気持ちでしたが、やはり自分で確認して片付けるということも、きちんと気持ちの整理をする大事な作業だったのかもしれません。

そんな感情も生活が安定し、日々の生活に追われていく中で今ではすっかり忘れ去られてしまっていますが。


大人でもうまく言葉に表すことの出来ないこのような感情を、子どもたちはどのように捉え、過ごしているんだろうかと考えるときがあります。生きていくうえで避けることのできない喪失体験ですが、そういった喪失体験を小さな頃から体験し、中には何度も繰り返し経験している子も少なくありません。“死”が伴う喪失に対するケアは重視される一方、そうではない家や家族、学校や友達との別れといった喪失体験に対しては軽視されている傾向があるのではないかと感じています。どうしても劣悪な環境から保護するということが重視されてしまいますが、たとえどんなにひどい環境であったとしても、子どもたちは少なからず喪失感を感じていることと思います。

まだまだ上手く言語化出来ない子どもたちだからこそ、より丁寧に関わってあげたい。子どもたちの為と言いながら、子どもたちは蚊帳の外ということがないよう、これから出会う子どもたち一人ひとりの生活に寄り添える方法を模索していきたいと思っています。

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