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  • miyamoto

「怖いもの」と「遊ぶこと」

 


 少し前にネットフリックスでハリーポッターシリーズの映画が全作品観られるようになっていました。学生の頃に一応は全作品を観たことがあるのですが、内容をうろ覚えだったので、もう一回全部観てみようかなと思って、空いている時間にちょこちょこと観ていました。

 映画を観ていて面白いなと思ったのが、ハリーポッターシリーズの三作目『アズカバンの囚人』の“闇の魔術に対する防衛術”の授業の場面。その授業で“まね妖怪ボガート”という魔法生物がでてきます。このボガートは正体がよく分からない生き物で、暗くて狭い場所に潜んでいて、見た人が怖れているものに姿を変えます。ボガートを退治するには笑い飛ばすことが必要で、授業の中で先生は“リディクラス”という呪文を使って、ボガートを自分が想像した滑稽な姿に変えることができると生徒たちに教えます。はじめは恐る恐るボガートに対峙していた生徒たちですが、途中からは陽気な音楽に合わせて、皆で代わる代わる呪文をかけていき、教室は笑いに包まれていきます。その授業はあるトラブルが起きて中断になるのですが、授業が中断されることに対して生徒たちが残念そうなため息をついているのが印象に残りました。生徒たちは怖いものと関わることを楽しんでいたようです。


 映画のこの場面を観て、私が以前働いていた適応指導教室での出来事を思い浮かべました。ちょうど新型コロナウイルスが広まりだした時期のこと。自由時間に小学生の男の子がボールをコロナウイルスに見立てて私に持たせ「コロナごっこ」を始めました。鬼ごっこのような遊びで、私は逃げ回る子どもたちを追いかけて、ボールでタッチするのですが「アルコール消毒してるからセーフだよ」と防がれました。参加していた子どもたちはニコニコしながら逃げ回り、私は息切れするくらいに走り回っていました。普段は部屋の端っこでみんなが遊んでいるのを見ている女の子もこの遊びには珍しく参加していました。遊びの途中で一人の男の子が転んで怪我をして、それを見た先生が「走りまわるのはケガをすると危ないから」「コロナごっこって名前は不謹慎だからやめよう」と止めて、子どもたちは残念そうにしていました。

 大人の目から見れば、確かにこの遊びは不謹慎だったと思います。当時は毎日のように感染者数や亡くなった人の報道がありましたから。しかし、「コロナだ!逃げろー!」とはしゃぎ回る子どもたちのキラキラした目を思うと、不謹慎という言葉で片づけてしまうのは勿体ない気もしました。

 ハリーポッターに感化されすぎているのかもしれませんが、「コロナごっこ」の時間は、コロナという「怖いもの」に対して「遊ぶこと」という魔法がかかっていたのではないかと思います。人は怖いものにその魔法をかけることで、今までとは違った新しい関わりかたを見つけることができるのかもしれないし、その魔法を通して関わることで少しだけ怖さに持ちこたえられるようになるのかもしれないな、とぼんやり考えている今日この頃です。

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