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「ひきこもる」という価値

子どもを育てる上で気をつけていることは、それぞれの家庭で異なるとは思いますが、私が子どもに対して気をつけていることの一つに、「子どもの時間を安易に分断しない」ということがあります。

これは、吉本隆明著「ひきこもれ」に書かれてあったことで、とても大事にしている感覚です。


 本書では、積極的に「ひきこもる」ことの有効性を説いていて、ひきこもりを良しとしない一般的な主張と真逆のことを言っているようにも感じますが、

少し意味合いが異なるということだけは、補足させていただきます。


以下、引用文です。


“自分の時間をこま切れにされていたら、人は何ものにもなることができません。

ゆくゆくはこれを職業にできたらいいな、と思えるものが出てきたらなおのこと、1人で過ごすまとまった時間が必要になります。

はたから見ると、何も作り出していない、意味のない時間に思えても、本人にとってはそうではないのです。

ひきこもって、何かを考えて、そこで得たものというのは、「価値」という概念にぴたりと当てはまります。

価値というものは、そこでしか増殖しません。”


吉本隆明『ひきこもれ ~ひとりの時間を持つということ~』


 吉本さんの娘である吉本ばななさんが、日本を代表するような女性作家になったことも、親がその「価値」を大事にしていたことが少なからず影響していたと思います。

仮に親の価値観や都合によって子どもの時間が頻繁にこま切れにされるような家庭であったら、ベストセラー作家を生み出すことは難しかったかもしれません。


 振り返ってみると、私自身もひきこもっていたからこそ、身についた技能や成果がそれなりにありますし、吉本さんの考える価値は、私にとっての価値の概念ともぴたりと当てはまります。

ですから、なおさら親として、子どもに関わるものとして、安易に子どもの時間を分断しないようにしたいという思いが強くあるのかもしれません。


 とはいっても、人の感じる価値はそれぞれで、100人いれば100通りの価値の概念があるとは思いますが、少なくとも、親から子へと伝わる価値の本質は、そのような想いとともに伝わっていくんじゃないかと考えています。



ちなみに私は、自転車ツーリングが数ある趣味のひとつです。

特に川沿いで感じる風の心地よさは格別で、私はそこに大きな価値を感じています。

しかし、中学生の娘は自転車に乗ることを嫌います。

娘が幼い頃から自転車であちこち遠出し過ぎたせいかもしれません…


残念ながら、自分がどれだけ価値を感じていても、子どもに全く伝わらない価値もあるようです・・・


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