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  • kamiya

ランナーズ・ハイ


30歳代の頃、ランニングに夢中になった時期があった。仕事や子育てが忙しくてなかなか遠くに出かけることもままならず、その点で自宅近くを走ることは時間的にも経済的にも都合がよく、日ごろの運動不足と日々のストレスを解消してくれた。

 さいわい自宅近くにはランニングのできる大きな運動公園があり、また少し足を延ばすと緑あふれる標高の低い山々もあって、そこが週末の手ごろなクロスカントリーコースとなった。今なら「トレイルランニング」というメジャーなスポーツだが、当時はまだ山の中や自然歩道を走っているちょっと変わった人と思われていたのかもしれない。

 

 ただ走っているだけではつまらなくなり、次第にランニングの大会やマラソンレースに出場するようになった。そうすると走るタイム、記録が常に気になってきてしまう。少しでも早く走ることに意識が働き、反作用として走る楽しさが減ってしまった。

 大会に向けて練習メニューを考え、日々のランニングは次第に義務的となった。レースが近づくと体調管理やレースプランを考えることに集中して、走ることを素直に楽しめなくなっていった。

 

 そんな走る日々の中でも、レースやタイムのことを気にしないで、「ただ走りたい」という心の内からの声に誘われて走り続けていると、不意に意識が走ることから離れ、走っていることさえ忘れてしまうような瞬間がやってくる。

 手足を動かしていることが無意識となって、疲れるという感覚もなく、心地よい陶酔した時間が訪れる。頭だけは冴えわたり、そんな時に限って普段考えつかないアイデアが浮かび、悩んでいたことが整理されていった。

それは、いわゆる「ランナーズ・ハイ」を体験した時だったと思う。走っていることが楽しいと感じた。

 

 「子育てに疲れた時は、ひたすら家事や掃除をするんですよ」と里親さんから話を聞いたことがある。一つのことに夢中になり、それも一生懸命に頑張りすぎるのではなく、無意識に身体を動かしながらひたすら取り組むことが心を「ハイ」な状態にしてくれるのかもしれないと思う。もしかしたら子育てもそんな風にできたら楽しいのかもしれないなと。


 子育てなんてそんな単純なことではないなと考えながら、近くの低い山をのんびりと歩いている。今はもう走ることに膝が悲鳴をあげてしまったから。

何かを頑張りすぎると見えなくなってしまうこともよくあることだと自分自身を振り返る。肩の力を抜いて、ゆっくりとただひたすらに走っていた時のことを思い返しながら。


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