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逃げるは恥だが役に立つ



「逃げるは恥だが役に立つ」は、漫画家:海野つなみさんによる作品で、その後、テレビドラマ化されている。タイトルの「逃げるは恥だが役に立つ」(略称「逃げ恥」)は、ハンガリーのことわざで「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」が由来という。この漫画の内容や主なテーマは契約結婚となっているが、自分自身にも困難なことから「逃げる」という過去の体験があり、そのことを今でも苦々しい気持ちで思い出す。そして、それが今まで心の重りとなっていたことに気づく。


そんな体験をしたのは今からもう何十年も前のこと。当時、既に社会人で、なおかつ大学生でもあった頃の話です。高校を卒業してすぐに就職して公務員となったが、大学へのあこがれを捨てきれずに就職と同時に大学の夜間部(二部)に入学した。社会人1年目は、慣れない仕事や職場の雰囲気に合わせることに必死で、しかも仕事を終えるとそのまま大学に直行、講義を受けて夜に帰宅するという慌ただしい毎日が続いた。おまけに初めての一人暮らし、1年間はあっという間に過ぎていった。

社会人2年目になると生活に少し余裕が生まれ、高校時代からの山登りを再開する。まだ土曜日が半日勤務(半ドン)の時代だったため、昼に仕事を終えてアパートに戻り、山の支度をして名古屋駅へ、そこから近鉄で湯の山温泉に行き、最終のバスで登山口にたどり着く。暗くなった山道を30分ほど歩き、テントを張って眠りにつく。翌日の日曜は朝から夕方近くまで御在所岳の藤内壁をクライミング、夜に帰宅するという山での週末を月に2回ほど過ごしていた。山仲間とのクライミングが楽しくて充実した日々だった。


大学生活では講義だけの退屈な日々が続いたが、2年生の夏から「演劇研究会」というサークルに入る。映画や芝居が好きだったことから軽い気持ちで学生会館のサークル室を覗いたことがきっかけとなり、講義が終わった後で「演研」の先輩たちからいろんな話を聞くことが楽しかった。その年の秋には、チェーホフの短編を戯曲化した芝居に端役で出演する。

3年生になった時、秋に大学祭での公演が決まり、キャストが3人の芝居に出演することになった。芝居のタイトルは「地下街」で劇団名芸の栗木さんによる戯曲。地下街に住むホームレスの老人とそこに迷い込んだサラリーマンとストリッパーの女性の3人が絡み合い、初めはお互いに反発し合うが、次第に共感し、それぞれが自分自身を振り返り、そして変わっていくという内容。公演までの3か月は合宿を含めて慌ただしく過ぎていった。初めての本格的な公演に戸惑いながらも当時は必死に取り組んでいたことを思い出す。そして何とか無事に公演を終えることができて安堵したが、ただ、それで終わりではなかったことがその後自分自身の「逃げ恥」体験につながっていった。

 

 大学祭での公演の後、別の大学祭で同じ芝居を再演することになったこと。一つの公演を終えるだけで気持ち的にはもう限界だった。同じ芝居をもう一度演ずることは簡単なことではなく、当時の自分の中ではとても苦痛なことだった。芝居から離れ、早く山に出かけたかった。そして、悩んだ末に「芝居をもう辞めたい」と仲間に伝えた。

 演研の仲間からは当然のごとく慰留される。三人芝居でそのうちの一人が抜けるということはその代役を立てることになり、大変なことだとは十分に理解できたし、その結果みんなに迷惑をかけることも。ただ、もう気持ちが続かなかったし、そこから逃げることしかできなかった。

そんなやりとりの後で仲間からは「今、困難なことから逃げることは、また次に困難なことにぶつかった時、また逃げることになる」と断言された。その言葉はぐっと心に刺さって痛かった。そして、長い間ずっと心の重りになった。


 あれから長い年月が過ぎ去り、その間に困難な場面にも何度か遭遇したが、その度に「演研」の仲間から言われた言葉を思い出し、それを強く意識した時もそんなに意識しなかった時もあったが、何とかやり過ごすことができた。あの時は「恥ずかしい逃げ方だったが、ここまで生き抜くことができた」と。



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