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  • kamiya

転職は儚い夢と消え




若い頃から「早く仕事を辞めたい」と口癖のように言っていたと、妻からよく愚痴を聞かされる。それでも定年退職した後もずっと働き続けていることを、今度は皮肉るように「仕事が好きなの?それとも嫌いなの?あなたは変わってるね!」と言われる。

自分の中では、仕事のストレスや煩わしさから解放されたくて軽い気持ちで「仕事を辞めたい」と口に出しただけのことだったのに、妻にとってはきっと嫌な気持ちにさせる言葉だったのだと改めて申し訳ない気持ちになる。今更反省してももう遅すぎるけれど。

 高校卒業を控えて、大学夜間部に進学したいという意思は固まっていたが、どんな仕事をしたいのかという思いはさほどなく、「とりあえず公務員」にでも、という優柔不断な選択で名古屋市職員になる。大学に通いやすいという、その程度の理由で職業選択をしてしまった。そんな就職の経緯から、いつかは「本当にやりたい仕事がしたい」という思いが心の底にあったのかもしれない。


 初めて、転職を考えたのは大学で教員免許を取った頃。叔父や従兄弟等親戚に教師が多く、周りから「教師になったら」とよく言われていたことへの反発もあり、教師にだけは絶対になりたくないとずっと思い続けていた。それでも大学で教職課程に進み、教員免許を取得、知らず知らずのうちに教師の道に進みたいといつしか考えるようになっていた。

 しかし、現実はそんなに甘くはない。あこがれだけで教師になれるわけでもなく、採用試験の勉強もろくにしないで合格できるわけもなかった。あっさりと教師の夢は消えた。

 結婚して家庭を持ち、子どもが生まれ、日々の生活に追われるようになる。仕事も人事異動で福祉関係の職場に変わり、以前よりはやりがいが持てるようになった。仕事と子育て、趣味の山登りなどで毎日が忙しく、転職を考えることも、その余裕もなくなっていた。

 それでも、子育てが一段落するようになると、「本当にやりたい仕事」への思いが時々頭をもたげるようになる。転職までしなくても、何かにチャレンジしたいという思いが。


 そんな頃、勤務していた児童福祉センター内で海外青年協力隊に参加する職員の話を耳にした。自分の中で、JICA海外協力隊に参加したい、1~2年間でも海外で働いてみたいという思いが募ってきた。以前は青年だけに限られていたが、幸いにもシニア世代にも参加の道が開かれるようになっていた。そして、協力隊に参加している間は休職扱いとなること、復職が可能になっていることも。

 早速、資料を集め、こころ勇んで説明会に出かける。会場では協力隊に参加された方の体験談や参加にあたっての詳しい説明があり、最後に個別説明会が行われた。話を聞くうちに、次第に自分の参加動機の甘さやいい加減さで情けない気持ちとなる。語学力も乏しく、協力隊に参加するに足るような職務経験もない現実を知る。そして、またしてもあこがれは儚い夢と化していった。

 

 年月は流れ、気が付くといつしか50代半ばになっていた。定年までのカウントダウンが始まったが、このまま平穏に定年を終えることがどうなのかと、この期に及んでもまだ葛藤が微かに渦巻いていた。実は、若い頃から憧れていた山小屋で働くこと、山での暮らしをいつかはやってみたいとずっと考えていた。

 その当時は児童相談所で児童福祉司として働き、虐待対応などで忙殺される日々を送っていた頃だった。そんな慌ただしい毎日から解放されたいという思いもあり、早期退職を密かに考えていた。もう十分働いたからと自分に言い聞かせ、あこがれの山暮らしを夢みた。

 一応妻には事前に話をしなければと思い、もしかしたら山小屋で働くことになるかもと転職をほのめかし、反応を探った。結果は予想外で、「それもいいんじゃない」とあっさりした返事が返ってきた。あとは自分の思いを実行に移すだけだった。


 その年の10月初め、テントを担いで一人立山に向かった。ちょうど紅葉が真っ盛りで室堂平は赤や黄色の絨毯が敷かれたように美しい彩りで覆われていた。

 テントを設営した後で、目指す山小屋に向かった。そこは山小屋だが温泉があり、バスターミナルから近いこともあり、登山者だけでなく観光客も良く利用していた。春の立山で山スキーをしていた時に何度も宿泊したことがあり、自分にとってお気に入りの山小屋だった。今回は宿泊ではなく、従業員として働きたいという相談で緊張して山小屋に入る。

 受付のスタッフにオーナーとの面会を申し出ると、あっさりOKとなり、目の前に年配の男性が現れた。オーナーは60才くらいで地味な雰囲気だったが、真面目で正直な受け答えがあり、思いのほか気さくに話をすることができた。

 まず、こちらから小屋仕事をしたいという動機や思いを伝えた後、オーナーから山小屋の仕事や従業員の役割など細かい説明がある。この山小屋では主に3つの業務に分かれて働いてもらっているという。一つ目は受付や情報発信、二つ目は炊事や食事関係、最後は掃除や客室整備関係で、「あなたの得意なものは?何ができますか?」と率直に聞かれた。

 即答できずに少し考えてから、「掃除や客室整備くらいしかできませんが」と小さな声で答えはしたが、とても情けない気持ちでいっぱいだった。また、従業員部屋は個室ではなく二人部屋のため、同室者のいびきで仕事を辞めていく人も毎年のようにいるという。自分自身が気になっていた従業員の年齢制限は、50才代でも大丈夫とのことだった。

オーナーからそんな現実を突きつけられ、無残にも夢は打ち砕かれて気持ちは落ち込んだが、今の自分の立位置を知ることができたのはそれで良かったのではと改めて思った。

 テントの中で、オーナーとのやり取りを振り返り、これからどうしようかと一人で悩む。ただ、「山小屋の仕事がしたいなら、来年2月までに履歴書などを送るように」と伝えられたため、考える時間は十分に残されていた。

翌日、快晴の中、紅葉の奥大日岳を登って山を下りる。立山は雪の季節が近づいていた。


 帰宅して、普段の生活に戻ってからも、これからどうしようかと考え、なかなか答えは出なかったが、立山に行く前の高揚とした気持ちは明らかに少しずつ冷めていった。

 年を越しても転職のための履歴書は書けないまま、春になった。山小屋で働くこと、山暮らしの夢は儚く消えていった。

 あれから、十数年の時が流れたが、今も街で暮らし、パートタイムで仕事も続けている。そして、毎週のように山に登ってはいるが、憧れた山小屋での仕事は叶わないまま、山暮らしの夢は心の片隅でそっと眠ったままになっている。

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