梅仕事と父との思い出
- inoue
- 6月30日
- 読了時間: 3分

今年も梅雨の季節と思っていたら、あっという間に夏並みの暑さとなってしまいました。もう梅雨明けだそうです。雨の季節が嫌いではない私には拍子抜けするような、少し残念な気持ちにもなる6月でした。
そんな駆け足の6月でしたが、今年もチラホラと梅を見かけたり、話題になったりして、私も「梅仕事」の季節だと思い出しました。ほだかの里でも毎年、梅シロップを作るというYさんの出来立て梅シロップをご相伴にあずかったり、今年こそは梅酒作りに挑戦する!というGさんの梅酒に恋い焦がれる話を聞いたり…。
私は梅仕事というと亡き父を思い出します。幼いころ父は毎年、庭の梅を収穫し梅干しと梅酒を作っていたので私にとって梅仕事は父との思い出の時間です。
爪楊枝で梅のおへそ取り(?)の手伝いをする私に父は「赤しそは手が冷たい人のほうが…。」「昔、八百屋の小僧をしていた頃…。」「子供の頃は新潟の山の中で…。」「硬い梅干しも…。」と梅の蘊蓄から父の人生まで語ってくれました。私は、父が中学卒業後、新潟から上京し八百屋で丁稚奉公していた頃の話を聞くのが大好きでした。いつも長谷川町子先生のお宅に御用聞きにも行っていたから、サザエさんの三河屋、三平さんのモデルは自分だというオチで終わるのです。三河屋さんは酒屋さんなのですが(笑)
こうして我が家には父の八百屋で培った自慢のしょっぱくて酸っぱい真っ赤な梅干しが食卓にあり、○○年とラベルの貼られた梅酒ビンが何本も保管されていました。夏休みにこっそりと梅酒でジュースを作り兄妹で真っ赤になったこともあります(笑)
そんな大好きな父は63歳で突然、病に倒れ帰らぬ人となりました。
父は私たち夫婦になかなか子供が授からないことを何も言いませんでしたが、亡くなった後、本当は子どもが授からないことをとても心配していたと知りました。
その後、私たちは里親登録し、父の名前の一文字「健」が入っている名前の子に出会ったことに運命を感じました。父が引き合わせてくれたのかもしれません。きっと養子縁組という形で家族を作ったことを喜び応援してくれていると思います。また、父はたくさんの兄弟の中で母親に甘えることができなかったと聞いたので、父とその子が重なり、母親として出会った子には父の分まで甘えさせてあげたいと思いました。
子ども達を父に会わせたかった。子ども達にも、おじいちゃんのたくさんの話を聞かせて欲しかったと思います。
そして、子ども達と暮らすようになって、私はなんとなく梅仕事をするようになりました。梅に触れると父を思い出します。父のことから、会わせることのできなかった子ども達のこと、自分のこと、夫婦のことなど色々な思いが浮かんできます。梅の香りの効果か、心は穏やかにそれらを考えることができます。
いつか私たち夫婦がこの世からいなくなった後、子ども達の思い出の父、母はどんな人になるのかな…。父、母との思い出として何を覚えててくれるかな。それが、ほんの少しでも彼らの人生を支える思い出だと良いな…。という所まで思いを馳せています。
家で過ごす雨の日…。梅仕事…。そんな時間が私にとって、自分と向き合う大切な時間のような気がして、雨の季節も嫌いではないのだと思います。
実は今年は忙しく、あまりにも早く6月が過ぎてしまい梅仕事ができませんでした。大切な時間が作れず残念ですが、こうして振り返ることが今年の梅仕事の代わりになったでしょうか。
来年は時期を逃さず、自分の時間を大切に梅仕事をしようと思います。
今年はGさんの梅酒の出来上がりを密かに楽しみにしております。
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