山へのあこがれ



人生の終盤となった今、自分史を振り返ってみると、中学生の頃はベトナム戦争があり、高校時代には東大、安保闘争があって、当時の若者は誰もが多少なりともその時代の世相に影響を受けて育ったと思う。中学、高校という多感な時代には、そんな社会情勢からの影響を受けて、反体制的な考えや活動にのめり込んでいった若者も少なくなかったと思う。幸か不幸か、自分自身が暮らしていた所は都会から離れた田舎町、高校生活も当時の世相から多少の影響を受けてはいたが、基本的にはのんびり、のほほんとしたものだった。

 社会の動向より学校生活や部活動、人間関係(恋愛も)、卒業後の進路という身近で現実的な課題が、自分の中ではまずは優先された。そして、それら現実的な問題を差し置いてまで社会的な課題に立ち向かうという情熱や度量は、当時としてはまだ生まれてなかったと思う。振り返ってみると、日々の生活から生まれる様々な悩みに向き合うだけで精一杯だったのかもしれない。


 そんな時代の高校生活で自分自身の部活動も右往左往していた。入部したサッカー部では夏合宿に耐えられず、中学時代の経験を活かして再入部したバスケット部でも練習についていけず、劣等感だらけの高校1年生はあっという間に終わってしまった。

 落ち込んでいた高校生活を救ってくれたのは2年生になってやっと入部した「登山部」だった。部員数は少なく、それぞれが個性的というか球技嫌いや運動音痴が集合した、いわゆるアウトロー的なメンバーがほとんどだった。そうした集団だったのが幸いして部員同士や先輩後輩といった変な人間関係で悩むことはほぼなかった。今になって思い起こすと、自由でのびのびとして、気ままで、まるで子ども達が無邪気に遊んでいるようなそんな雰囲気だったのかもしれない。


 クラブの練習はただひたすらに走ること、ザックに水や砂を詰めて学校近くの河川敷の堤防を上り下りし、雨が降れば校舎の階段を昇り降りするだけという単純なトレーニングを毎日のように繰り返した。そして、体力トレーニングの後はうす汚い部室に集まって、仲間と雑談(猥談も)にふけるという体育会系の部活動としては気楽で、周りから見たらいい加減そのものだったのかもしれない。「登山部」として実際に山に登っている時以外は。


 我が母校の周辺には山登りができるような目立った山はなく、どちらかというと田んぼや畑という田園風景が広がる地域。そんな平野に位置する高校にも以前から登山部があり、少なからず先輩も存在し、多少の歴史や伝統があった。

 そのため登山に必要なテント、ナベ、食器類などの装備類はほとんど揃っていて、ユニホームとなる登山シャツまで貸し出されていた。山に登るために自分で購入しなければならなかった物は、山靴(当時は安価なキャラバンシューズが主流)、シュラフ(寝袋)とポリタンク(水筒)ぐらい。あとは古い学生ズボンを登山用のニッカズボンに直し、靴下は母親に毛糸で編んでもらった。その他、部活動で必要なのは、登山に出掛ける時の交通費と食糧費だけだった。


 登山部には2年生から3年生の秋までのたった1年半のみ在籍した。その間に登った山は鈴鹿や奥三河の数えるくらいの山々だけだったけれど、その一つ一つの山行が貴重な思い出となり、今も続く山登りの基礎を作ってくれた。

部活動の山行の中で強く印象に残っているのは、春と秋の2回、テント泊で出かけた鈴鹿山系の愛知川遡行(愛知川沿いに山道はあったが、川を渡渉することもあるルート)だった。春は緑のグラデーションに彩られた新緑、秋は紅葉に色づいた山々、そして清流の瀬音が半世紀たった今でもずっと心と身体に深く記憶されている。自然の風景の美しさ、優雅さだけではなく、山での暮らしについても思い出すことが多い。それは、普段の何気ない日々の生活一つ一つが山での暮らしや活動に大きく反映してくるというもの、それを登山部顧問の先生から厳しく教えられた。


 渓流沿いの空き地にテントを張り、ナベでご飯を炊き、ヤミ鍋をみんなでつつき合う。食後は河原の流木を集め、その焚火を囲んで山の歌を歌い、山の一日の最後には必ず反省会が行われた。反省会では、顧問の先生からリーダーでキャプテンのN君が厳しい言葉で毎回と言っていいほど注意された。登山ではメンバー一人一人のチームワークがとても重要な要件になる。それをどのように伝えたら効果的なのかと考えて、先生はリーダーのN君だけを注意するという方法を試していたのではないかと思う。先生の熱い思いや本当の優しさを今になって思い出す。


 高校時代の良き思い出としての登山部活動だったが、卒業後1年もたたずして社会人サークルで登山を再開、さらに「岩と雪」の世界にのめり込み、そして海外の山にも出かけるようになった。あれから毎年、山仲間と中部地方の山々を登り続け、そして今も地元の山を中心に山登りを楽しんでいる。山が自分の中で生き続け、山から生きる力をもらい、喜怒哀楽を山とともに歩んできた半世紀だった。

 たった1年半の短い登山部での活動が「山へのあこがれ」のスタートとなり、その後の人生を大きく左右することになろうとは、高校生だった自分にとって、当時は想像すらできなかった。そして、自分にとって「山」がこんなにも大きな存在になろうとは。