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子どもは迷惑ですか?

更新日:6月9日



5月5日の子どもの日の中日新聞に、このようなタイトルのコラムがありました。3名の有識者がそれぞれの立場で今の子育て環境について書かれており、中でも私の目を引いたのが「子持ち様」、「子育て罰」という言葉です。


「子持ち様」と言うのは子育て中の人が職場などで配慮されるさまを揶揄して使われるそうで、「子育て罰」は子どもを産んだ女性の収入が減ったりキャリアが中断したりする不利益を指すそうです。

日本人はそもそも人に迷惑をかけない、不快にさせないという文化があり、それが「おもてなし」として日本人のきめ細かい心遣いや配慮が称賛されています。

たぶん昔の人は自分のことは我慢して人のことを優先に考えるのではなく、お互い様だから、自分もしてもらったうれしいからとの気持ちから人への配慮がされていたと思います。でも今は『人に迷惑をかけてはいけない』が先に立ち、自分たちの気持ちは大事にされずに、子どもの頃から我慢を強いられながら迷惑をかけないように育てられているように感じます。その反動で自我が芽生え、自分と向き合ったとき、大事にされてこなかった不満や不安、悲しさが爆発して問題行動として出てきてしまうのではないかと思います。


さて、「子持ち様」が子どもの病気などで早退や欠席をしたとき、職場の人に「子持ち様」の仕事が他の方に振られることがあるかもしれません。それを迷惑と感じるか、お互いさまと受け入れるかは、その人同士の関係性によって変わってくると思います。

日頃からコミュニケーションが取れていて、お互いの困りごとをカバーしあえる仲なら、仕事を頼まれても今度ポッキー1箱おごりね!(ランチでも缶コーヒーでも、相手の好きなものを知ることでそこからまたコミュニケーションが生まれますね)なんて気持ちよく引き受けられるかもしれません。

子育て中だからしょうがない、配慮優遇されて当然という態度ではなく、感謝と日ごろから自分のできることは積極的にひきうけることで良い関係づくりにつながるのではないかと思ってます。


今、そのような状況を経済的に解決するために、育児をする人の業務を代替してくれた人に金銭的な手当てを支払ったりするための助成金制度も国が始めたようです。

それもモチベーションを上げるための1つの施策かもしれないし、お願いする側も割り切って休めたりできるかもしれませんが、人が育っていくためにも、人間がせっかく持ってるコミュニケーション能力で解決する世の中であってほしいな~と私は思ってしまいます。


余談ですが私は『人』に魅力を感じ、ずっと人と関わる仕事、現場にこだわって過ごしてきました。便利、時短、効率にとらわれすぎない生き方をしたいと思っていて、いろんな価値観の人とかかわったり、失敗を繰り返して成功したり、わざわざ大変な方を選んでうまくいったときの達成感が快感につながり、モチベーションとなってその後の活動につながっています。

たくさんの価値観に触れることで、私はそうは思わないけどこういう考え方もあるんだ、私のこういう考え方って人からこうとらえられるんだということを知ることでいろいろな意見や考え方を柔軟に受け入れられるようになったと思います。


もう1つの「子育て罰」についてです。子育てにより、就労形態を変えることで収入が減ったりキャリアアップの機会を逃してしまうというという罰。罰?そんな風にとらえてしまうことが悲しいことだなと思います。

すべての人が子育てを楽しめるわけではないし、いろいろな面で納得できない中でも折り合いを見つけて奮闘しながら子どもを育てているのに、悪いことをした罰みたいな考え方になってしまうのが本当にもったいないです。

子育ては忍耐、ひらめき、コミュニケーション、段取りの立て方、相手を思いやる気持ちなどなど彩ある生活を送っていくのに欠かせないスキルを身につけられると思っています。それはいつか仕事復帰するときにもきっと役立つ貴重な経験になると思います。(またも余談ですが、私が最近見ている「対岸の家事」というドラマでは、様々な就労形態の子育て世帯が主体となって、いろんな思いを感じながらもそれぞれの価値観を尊重し、支えあっていくストーリーで、こういう子育て環境いいなあと思いながら毎週楽しみにしています。見ていなかった方良かったらぜひ見逃し配信で!)


子どもは迷惑ですか?ショッキングな見出しでしたが「子ども」時代はどんな大人でも通ってきた道。苦手でも、一生懸命向き合おうと子育てしている世帯と、いろんなことを吸収して生きている自由気ままな子どもたちに、もう少し温かい目を向けられる社会であってほしいと思います。

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