地元への想い
- shiba
- 5月26日
- 読了時間: 3分

私は石川県金沢市で生まれました。
18歳で高校を卒業し、愛知県の大学へ進学しました。それからずっと愛知県で暮らしています。
11歳上の姉が県外の大学へ行き、そのまま就職、結婚したので、私も県外でやっていける!と自負しており、不安はあまりなかったように思います。(というか、何も考えていませんでした。今となれば、親という後ろ盾があったからこそだと感じています。親に感謝しなきゃいけないですね。)そんな気持ちで一人愛知へ飛び込んできました。
大学には東海地方出身の子が多かったので、自分が今まで当たり前のように使っていた言葉が通じなかったり、講義で発言したときに先生から「一人だけイントネーションがおかしい」といじられたりすることもありました。友達との会話で、「これって方言だったの!?」と気づくこともありました。例えば「傾く」のことを「かたがる」と言いますが、通じなかったので驚きました。
愛知に来てから、金沢は天気の悪い日が多いこと(雨や曇り、雷の日が多い)や、スーパーの魚コーナーが充実していることに気づきました。金沢での生活が当たり前で、客観的に見ることなんてなかったので、新しい発見でした。私は大抵何を食べてもおいしいと感じますし、お手軽な回転寿司も大好きですが、金沢に帰ってお寿司を食べると格別だなぁと感じます。
北陸新幹線が開通した影響が大きいと思いますが、私が大人になってから金沢ブームが来たという感覚で、行きたい旅行先№1になっていたり、バラエティ番組でしょっちゅう金沢が取り上げられていたり、というイメージです。「金沢カレー」や「金沢おでん」が有名ですが、私が住んでいた頃はそう呼ばれていなかったような気がします。(私だけかもしれないですが・・・)
中高生の頃、自転車に乗って街中へ出かけるときは武家屋敷跡の辺りを通っていたので、当時の私にとってはなんてことない景色でした。
それから、子どもの頃にはよく、春になると兼六園へお花見に行っていました。日本三大庭園の一つではありますが、兼六園には馴染みがあり、何気なく行っていた場所だったので、実は兼六園のことをよく知らず・・・。結婚前に夫と金沢へ来たときに、数回旅行で来たことのある夫の方に兼六園を案内してもらったことは今でも笑い話になっています。大人になってから見る兼六園は趣深く、特に、住んでいた頃は見慣れていた雪吊りはとても美しいなと感じます。改めて、兼六園の魅力に気づくことができてよかったなと感じています。
前半で方言について触れましたが、母や祖母は金沢弁がかなり強いので、私でも聞き取れないことがあるくらいです(笑)だけど、地元に帰ったときは、地元の言葉やイントネーションに癒され、聞き取れない方言にも安心感があります。
私の好きな方言は、いいじ~(いいね、いいなぁ)、じゃまない(大丈夫)、あんやと(ありがとう)です。あと、もみじこ(たらこ)はなんだかおもしろいので好きです。
ちなみに、私は相撲を観ることが好きなのですが、地元出身力士である大の里関の活躍ぶりはすごく励みになっており、元気を貰っています。
気づけば自分も3〇歳になり、数年後には、人生の中で愛知での暮らしのほうが長くなります。地元についてどんどん知らないことも増えていくのでなんだか寂しい気持ちもしますが、地元と呼べる大好きな場所がいつまでもあることは幸せだなと思います。通学路や友達とよく出かけた場所などを通ると、なんとも言えない懐かしい気持ちになります。これからも、何事にも変えられない大切な思い出だと感じます。
今は子どもたちが小さいのでまだ難しいですが、地酒を飲みながらおいしい魚を食べて、のんびり地元巡りをすることが目標です。住んでいた頃に気付けなかった魅力を、もっとたくさん見つけたいと思っています。
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