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  • kamiya

スキーと骨折




初めてスキーをしたのは高校2年生の冬休み、場所は栂池スキー場。夏休みに鉄工所でアルバイトをして費用を貯め、念願のスキー合宿に参加したが、2日目に捻挫をしてその後は宿舎で過ごすという悲惨な初滑りだった。

 その後、社会人になってからは友人や職場の仲間と時々スキーに出かけてはいたが、その当時は雪山登山にのめり込んでいたため、冬山合宿がある年末年始は毎年のように槍や穂高、八ヶ岳などの冬山に出掛け、雪の中で正月を迎えていた。スキーは冬山合宿が終わって一息ついた頃に、気分転換、遊び感覚で出かけていた程度、だから、スキー技術の向上はままならず、いつまでたっても上達することはなかった。そんな遊びの延長、軽い気持ちでスキーに出かけていたが、いつかは雪山に登って、稜線からゲレンデではない雪の大斜面を滑ってみたいという憧れだけはずっと持っていた。


 20才代半ばに妻や友人らと出かけた野沢温泉スキー場で人生初の骨折を経験する。その時のことはもうすっかり忘れてしまったが、シュナイダーコースを滑っていて転倒し、左足を捻った時に腓骨を骨折する。痛みをこらえて麓まで降り、一人でとぼとぼと宿に戻る途中で薬局に寄って湿布薬を買ったことだけは今でもよく覚えている。家に帰ってから病院に受診して左足腓骨骨折と診断されたが、歩けないほどではなかったため、テーピング程度の治療で済み、心身へのダメージはそんなにはなかった。

 

 2度目の骨折は30才代後半、場所は白馬八方尾根スキー場。朝から快晴で絶好のスキー日和の中、快適にリーゼンスラロームを滑っている時に事故は起きた。自分の目の前を一人のスキーヤーが突然横切り、その人を何とかかわしたと思った瞬間、今度は別の人に激突してしまった。その瞬間、何が起こったのかよくわからなかったが、顔面から出血があり、左ひざに激痛が走った。痛みとともに白い雪の上に赤い血が点々と落ちるのを見ながらひどく落胆した気持ちでその場に座り込んでいた。

 スキー場のパトロールで応急処置を受け、麓の診療所でレントゲンを撮って、左足膝蓋骨骨折と診断される。いわゆる膝の皿を骨折したものだった。幸い左目の上の傷は7針ほど縫う処置だけで済んだが、仲間の車で白馬から自宅までの帰り道では、これからどうなってしまうのかと不安ばかりが募った。


 翌日、病院に受診すると予想した通り入院、手術が必要と診断される。2度目の骨折が人生初の入院、手術となった。入院して3日後に手術予定となり、それまでは車椅子で不安な時を過ごす。手術は下半身麻酔で実施され、ドクターや看護師さんの会話や施術の音などがリアルに聞こえたが、心配していた痛みはさほど感じなかった。ただ、その夜、麻酔が切れた頃から激痛が襲い、ほとんど眠れずにせん妄状態に陥ってしまうという人生最悪な夜になった。

当初の入院見込みは2か月だったが、術後はリハビリのみの退屈な入院生活だったため、主治医に無理やり頼み込んで、2週間余りで退院させてもらう。その後、2~3週間自宅療養し、松葉杖で職場復帰する。

初めての入院や手術の体験は決して悪いことばかりではなかったと思う。当時、児童相談所に勤務し、児童福祉司として対人援助を主な仕事としていたが、自分が思うようにならない状況でしかも弱い立場となったことを自ら体験することができ、そうした経験や感覚を仕事に生かすことができたと今でも思っている。


入院、手術した次の年の冬シーズンにはスキーを再開する。そして、40才の節目の時にあこがれていたオートルート(Haute Route)に出かける。

オートルート(高き道)は、アルプスの最高峰モンブランの山麓フランス・シャモニからマッターホルンの山麓スイス・ツェルマットへと続く、約180kmのロングトレイルを春シーズンに山小屋に泊まりながら1週間ほどでスキー縦走するもの。若い頃に登ったモンブラン近くの氷河からスタートして、スキーで何度も氷河を登り、滑り降りるという山岳スキー縦走の夢を実現できた。

オートルートのスキーツアーを終え、次に「自由に山を滑りたい」という思いからアルペンスキーを中退、テレマークスキーを新たなチャレンジとした。テレマークスキーはクロスカントリースキー、ジャンプと同様にノルディックスキーの一種で、その特徴としては踵が固定されたアルペンスキーと違って、ブーツのつま先(コバ)だけが固定され、踵を浮かすことができるのが最大の特徴となっている。踵が解放され、自由な動きができる反面、自由度の代償として滑降は安定さを欠き、筋力と特別な技術が要求されることになる。それゆえ、テレマークスキーを始めた頃はターンするたびに転倒するといったありさまだったが、それでも自由で開放された感覚が楽しくて、面白かった。そして、スキーを使って自分らしい滑りを表現することができるという感覚を知ったことも新鮮だった。


テレマークスキーを始めてから技術の習得にも熱心となり、意欲的にスキーに取り組む。はじめは一人で緩斜面を繰り返し滑り、次第に急斜面や非圧雪斜面に挑んでいった。スキーの用具も、始めた当初は細板、革靴で不安定極まりなかったが、年々道具も進化して、現在ではアルペンスキーとほとんど変わらないものになっている。

テレマークスキーを始めてから10年ほどたった頃に、やっと白馬八方尾根を滑ることができるようになり、骨折のリベンジができる。それからは、国内外のいろんなスキー場を滑り、3月~5月の残雪期には山に登ってバックカントリーを滑った。槍沢、針ノ木雪渓、白馬大雪渓、雪倉岳、朝日岳、火打山、立山、乗鞍岳、御嶽山、八甲田山などなど、雄大な風景の中をスキーで登り、滑降する喜びを実感し、スキーが楽しくて仕方がなかった。


そんな浮かれた調子で滑っていた時に、3度目の骨折が起きた。4月、御嶽山のバックカントリーを滑り、スキー場上部の森林帯に入った時、樹に激突して胸部を打撲。一瞬呼吸ができなくなるが、何とか立ち直り、痛みを堪えながら自力で麓まで滑り終える。

診断は左肋骨骨折、怪我はテーピング程度の処置で軽く済んだが、少しの間、深呼吸やくしゃみをするたびに胸が痛かった。


その後は左膝半月板損傷で入院、手術を経験するが、スキーで骨折することはなく、現在でも毎年のようにスキーを楽しんでいる。

冬になり雪の便りが届く頃になると、心がうきうきして、白銀に輝く山々が恋しくなる、3度の骨折の苦い思い出とともに。

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